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103件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2015-05-28 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

しかし、この決定の背景には実はベトナム戦争反省があって、マクナマラ国防長官シビリアンスタッフをたくさん使って軍人の専門的なアドバイスを無視して、それがかえって状況を悪化したという反省があって、最終的には軍の情報をより正確に国家政策判断に反映すべきだという考えが優先されて現在に至っております。  

渡部恒雄

2015-05-28 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

彼がフォードから引き抜いたマクナマラ国防長官は、武器選定発注権限国防省に集中しました。彼はまた、入札企業を競わせることによって兵器の生産に経済合理性を導入しようとしました。しかし、このような改革は、軍部に代わって国防省が軍産複合体主導権を握るという結果に終わりました。  アメリカの軍産複合体弱体化の危機にさらされたのは、冷戦が終わったときのことであります。

西川純子

2015-04-23 第189回国会 衆議院 安全保障委員会 第8号

彼がフォードから引き抜いてきたマクナマラ国防長官は、陸海空の三軍がそれぞれに兵器企業と取引していた慣行を改めまして、武器選定発注権限国防省に集中したわけであります。彼はさらに、入札企業の選別についても経済合理性を導入しようとしました。しかし、このような改革にもかかわらず、逆に軍部にかわって国防省が前面に出ることによって、軍産複合体はさらに一層強力なものになりました。

西川純子

2015-04-23 第189回国会 衆議院 安全保障委員会 第8号

しかし、実際には、マクナマラ国防長官のもとでアメリカベトナム戦争をやったわけでありまして、戦争のための歯どめになるということでは必ずしもないと思います。  したがって、シビリアンコントロールをしいたからといって軍が暴走するのを抑えるということには限界があるかと思いますが、それでも、ないよりはましだ。

西川純子

2013-11-20 第185回国会 参議院 国家安全保障に関する特別委員会 第5号

これ小さい字で恐縮なんですけど、何と、一九六二年の十月の二十七日、JFK、ちゃんとプレジデント・ジョン・F・ケネディマクナマラ国防長官そしてその横には何と、JFKがどういうことを、大統領が当時どんなことを言ったかも全部これ今残っております。  次のページを見てください。

福山哲郎

2006-02-15 第164回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

この前DVDで、マクナマラ国防長官当時の、アメリカの、あの方のザ・フォッグ・オブ・ウオーですか、というビデオをちょっと拝見をしたんですけれども、やはりあの年、もう八十回られて、やはり自分の当時の思いということはきちっと語っておきたいということで、興味深くちょっと拝見をしたわけなんですけれども。  

末松信介

2003-05-09 第156回国会 衆議院 外務委員会 第8号

あれは海上封鎖ということで海軍が出ているわけですけれども、当時のロバート・マクナマラ国防長官は、まさにフルシチョフに対してどういうメッセージを送るか、こういう手段からそういう措置をとった、こういうふうに話しているわけですけれども、どういう措置をとることが北によりよいメッセージを送るか、こういう視点に立って検討したいと思っております。     〔土肥委員長代理退席委員長着席

茂木敏充

2000-08-30 第149回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

かつてマクナマラ国防長官のころにいろいろ洗い直しがありました。私はそのころマクナマラさんの本を読んで防衛予算を洗い直したことがあります。非常にコストダウンをしなければならない、それは常に考えなければならない問題でありますが、しかし限られた予算防衛を維持するためにはどうしても必要なことがあります。

月原茂皓

1999-07-01 第145回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第8号

と申しますのは、一九六〇年代以降の欧米の行政動向も、かつてマクナマラ国防長官のPPBの問題提起米連邦政府であった、これがどうももう一つうまくいかなかったというようなことがございます。あるいはまた、その後、目標による管理、特に計画技術高度化といったことでいろんな取り組みが日本とかフランスとかあったわけでございますが、これももう一つ決め手がつかみ得ない。  

八木俊道

1995-11-08 第134回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

あれは直接担当した当時のマクナマラ国防長官が、最近あれは間違った戦争だったと発言して大問題になったんです。だから、私はまずこの歴史の教訓をどう踏まえるかという点、それから今後どう見るかという点で、外務省と防衛庁にアメリカベトナム戦争をどう評価しているのか、それから今後アメリカにそういう覇権主義の危険が全くないと思っているのかどうか、これを第一にお二方からお聞きしたいと思います。  

上田耕一郎

1986-11-12 第107回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第2号

その意味では非常に長いキャリアを持っているわけでありまして、正式には一九六七年に、ジョンソン政権マクナマラ国防長官のときにセンチネル計画というABM計画弾道ミサイル最終段階で大気圏の近くに飛んできたときにそれを地上から撃ち落とすという形で正式な計画として出しておりました。  

鴨武彦

1986-03-20 第104回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

ところが、正確に申し上げますと、この均衡抑止というのは必ずしもイコールの概念ではないわけで、核の問題に関してとりわけこの均衡抑止議論がされておりますけれども、一つだけこの点についてアメリカの国会での議論を紹介しておきますと、いわゆる相互確証破壊という形でマクナマラ国防長官の時代に定式化されたと言われる論理があります。  

佐藤昌一郎

1985-05-24 第102回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会安全保障問題小委員会 第3号

それを見ますと、やはり当時の新技術による大陸間弾道弾迎撃可能性が論じられまして、結局それが最終的にはマクナマラ国防長官によるABMの配備ということになる。なるけれども、結局一転して一九七二年にはニクソン大統領の構想、第一次戦略兵器制限交渉、結局ABM制限条約というのができて、非常に歴史的な条約が締結されたわけです。戦後の軍備管理交渉の中でこれほど大きな影響を持つ条約は私はないと思います。

高榎堯

1983-02-07 第98回国会 衆議院 予算委員会 第6号

そこで、ミサイルギャップの実態についての報告書とその具体的な是正策の提示を新任のマクナマラ国防長官命令をしたわけだ。これほどソ連に対して核兵器は劣っているのだから、どれだけふやせばいいかというその報告書を早く持ってこい。そこで、マクナマラ長官自身報告書と、それからペンタゴン独自の報告書ケネディのいわゆる大統領執務机の上に届けられた。

小林進

1981-06-01 第94回国会 参議院 外務委員会、内閣委員会、安全保障特別委員会連合審査会 第1号

内容は岩国沖に長期間停泊していたとされる核弾頭積載のLSTについて、六一年のマクナマラ国防長官による撤去命令があったけれども、結局は実施されなかった、海軍反対によって実施されなかった。そして第二番目には、少なくとも六七年段階で停泊が確認されている。こういうふうに言っています。

野田哲

1981-05-25 第94回国会 参議院 本会議 第20号

その後のジョンソン氏やエルズバーグ氏等の証言やメモによれば、岩国沿岸核兵器とは水爆であり、その発見者ライシャワー大使で、マクナマラ国防長官沖繩基地にその水爆を移そうとしたところ、パーク海軍作戦部長の抵抗で移せず、水爆はそのまま岩国沿岸に少なくとも一九六七年まで配置されており、一部は岩国基地に陸揚げされたという事実が明かにされております。  

多田省吾

1976-03-05 第77回国会 衆議院 外務委員会 第3号

丸山政府委員 確証破壊アシュアード・デストラクションの訳でございますが、この言葉が使われ始めましたのは一九六五年マクナマラ国防長官国防報告書でございまして、ここでアシュアード・デストラクションという意味合いは、相手方がどのような先制攻撃をかけてきても、相手の国に対して当分の間国家としての機能を失ってしまうような破壊、つまり、そういうことを十分相手方が認識することによって先制攻撃を思いとどまらせるという

丸山昂

1976-03-03 第77回国会 衆議院 外務委員会 第2号

特に今度、マクナマラ国防長官の立てておりました二カ二分の一方式アジアヨーロッパ戦争が起こり、あと一つ小さな戦争アメリカが解決するだけの実力があると言っておりましたものが、レアードの一九七〇年の国防報告では、一カ二分の一方式という、そのヨーロッパアジアかということになりますと、アジアを捨てるのではないかという実は私は懸念を持っております。

中山正暉

1975-06-12 第75回国会 参議院 予算委員会 第23号

それで結局、八月四日には何らの事件もなかったということが明らかになりまして、フルブライト議長は、マクナマラ国防長官は公然たるごまかしをやった、私はだまされたと、あのトンキン湾決議のときに、私は、上院で反対票が二票しかなかったけれども、あのときに公聴会を開くべきだったと。アメリカがこういうふうに戦争に巻き込まれるこの悲劇を防ぐべきだったということを六八年に公聴会で述べているほどの事件なのであります。

上田耕一郎

1974-12-06 第73回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

マクナマラ国防長官六七年の二月。証言はこれだけ並んでいる。ほとんど調べてみました。全部議事録が手に入っております。  そこで、もう一ぺん承りたいのですが、外務大臣、あなたが幾ら言ったって立証できなければだめでしょう。この中が二日しかないじゃないか。しかも「防衛年鑑」に全部書いてある。これだけ証言もあるじゃないか。今度のラロック証言もあるじゃないか。

大出俊